今回の研究会では、自発的に支援を求めようとしないばかりか、支援の提供を拒否したり辞退したりする13事例が取り上げられました。事例は場面再現記録法という手法で整理し、ホームヘルパーの手法について何らかの共通性や伝達性のあるものを求めるという、かねてからのテーマにアプローチしました。そのなかの7事例を「7事例から見る、ホームヘルパーによる在宅利用者の生活把握の方法とアプローチ」としてまとめたのが本書です。
(2)7事例に見る生活支援の断面
この7事例は、いずれも何らかの成功を収めた事例です。7事例の成功の中から、生活とは何か、つまりその人にとって何より重要な生活の一断面が見えてきます。
[事例1]のAさんにとっての生活とは何か。Aさんにとって生活とは、エアコンのリモコンの機能を理解し、リモコンがどこにあるか探しあて、操作して、暑い夏の日には暖房ではなく、冷房をかけて涼しい風にあたることです。
[事例2]のBさんにとっての生活とは、人の手を借りて1日に必要な飲み物と食物をとり、できれば乾いた衣服を身体につけ、乾いた布団に身体を横たえることです。
[事例3]のEさんにとっての生活とは、息子さんへの気遣いから少しだけ自由になって、かつてなじんでいたオシャレや外出ができる生活を、少しだけでも楽しむことができることです。
[事例4]のGさんにとっての生活とは、下痢と便秘の繰り返しがある程度おさまって、息子さん依存の生活から少し開放され、人の手を借りて自分の気持ちに沿った生活を徐々にでも営むことができることです。
[事例5]のHさんにとっての生活とは、娘さんが外で仕事をしている昼間、誰かと和やかに昼食をとり、穏やかに落ち着いて過ごすことができることです。
[事例6]のIさんにとっての生活とは、いやだいやだと言いながら風呂に入り、結局いい気持ちになることです。
[事例7]のLさんにとっての生活とは、誰かにきれいにしてもらったガスコンロで、毎食キャベツ入りインスタントラーメンをつくって食べることです。
ほんのささやかでつつましい生活の中で芽生えた小さなつまずき、いずれもそれをほんの小さな手助けで解決することができれば、その人にとっての生活は一応の充足を見、その後の展望が少し開けてきます。つまり生活とは、生活の重要な一部とは、そのようにささやかな充足、またはささやかな充足の断片から成り立つものではないのだろうかという一つの見解が、以上のような事例検討から生まれてきます。
そのようなささやかな充足は、たしかに、そばにいる誰の手によってでも満たされることが可能です。しかしその誰かが近くにいなくて、ここまで放置されてしまったのです。その誰かが近くにいさえすれば、ほんの少しの手を差し伸べることができさえすれば、そこまで放置されることはなかった小さなつまずき。それを訪れたホームヘルパーが支えることができたら、ホームヘルパーの時宜にかなった適切な働きかけや支援によって、そのような利用者の小さなこだわりやつまずきが解消されることができたら、利用者の生活が少しずつ変わっていくのではないでしょうか。
(7)場面再現記録法における記録と事例検討
長い時間をかけて、固くこびりついたこだわりが何かを見つけ、またその人を決して傷つけない適切なアプローチを見つけるには、本書のような場面再現記録法による記録と記録をもとにした事例検討が役に立ちます。
この7つの事例を読むと、いずれの場合もホームヘルパーおよびホームヘルパーを取り巻く集団の意図、たとえば「今日は絶対足浴をするぞ」という意図、また「認知症で援助に入れなかった事例はない」という、事業所をあげての確信等が大きく作用しているように思われます。
経験知と経験知の積み重ねから来るある種の伝達可能な意図と確信、これを理論と呼ぶにはまだ遠いかもしれませんが、何らかの形でいくつかの共通項を見つけだすことはできました。今後それをさらに広く集め、集積していきたいと考えます。
このような意図や確信を「やりすぎ」という見方もあるかもしれません。支援者の横暴、唯我独尊であると。しかし事例を読んでいただければ、ホームヘルパーがここまで苦心し心を砕いて利用者に接近することは、利用者の尊厳を傷つけるものではなく、利用者が自立的なサービス利用者として回復するための支援の過程であることを理解していただけると思います。
(8)在宅福祉を支えるホームヘルパー
このようなホームヘルパーの働きかけは介護保険時代の中で苦戦していることは事実です。しかし在宅福祉や地域福祉を考える場合、本著において事例をめぐり論議された視点は大切です。
たとえば今日、高齢者福祉そして高齢者施設の論議の中で中核的な位置を占めている課題の一つにユニットケア(個室が中心の新型特養)があります。ある論議ではユニットケアは「自宅ではない在宅」と言います。認知症性の高齢者にとっては、自宅の在宅は非常に困難であり、自宅ではない在宅としてのユニットケアが理想ではないかというのです。しかしその論議の中に在宅福祉を支えるホームヘルパーの存在、ホームヘルパーの可能性や有効性は入っていません。
認知症性の高齢者にとって自宅での在宅を可能にするもの、それはホームヘルパー、家族、そして地域的なネットワークではないでしょうか。それらがあれば認知症性の高齢者でも、精神保健の領域でも自宅での在宅が可能であることを事例が示していると考えます。
そのような観点にたち、ホームヘルパーの領域やその存在意義について、今後さらに精錬された論議を尽くしたいと思います。
home 新刊に戻る