麦の郷――福祉のまちづくりに挑む人びと

熊谷 順子 著


はじめに 

序 章 晴れ、ときには曇り/頑張らず、引っ込み思案にもならず/いまがいい

第一章 まずは作業所
  1、「たつのこ」は竜巻をおこす   
     前例がなければ、例をつくる/アッという間に巻き込まれ
  2、「たつのこ」の毎日   
     地球をひっくりかえす 
  3、家のない子はどこへ行く
     「たつのこ」の耕ちゃん
  4、名前を変えて、実をとる
     くろしお作業所/「あがりとう ざいます」/「良く食べ、良くねる」
  5、ウエス「くろしお第二作業所」 
     墓の向こうは極楽か
  6、キビキビと、休み休み 
     腹が減っては仕事ができぬ/パンをつくる

第二章 暮らしの場
  1、「いこいの家」と「あいあいホーム」  
  2、麦の芽ホーム 
     赤い火が見える/寮の日常/台風の目/耕ちゃん伝説

第三章 看護師が周りを巻き込む
  1、精神科長期入院日数ナンバーワンだった和歌山  
  2、大学研究には残らなかった医者   
     サボリが下手なのが患者
  3、患者を送り迎えする医者   
     野上厚生総合病院
  4、トータル・リハビリテーション  
  5、チームを組んで、燃え尽きず 
  6、かなり不思議なソーシャルワーカー   
     松葉杖のワーカー/右手、上がらない?
  7、パワー全開、夢たっぷり   
     やる気のある「いい女」/パパさんが見るママさん

第四章 ソーシャルファーム・ピネル
  1、クリーニング部 
     いつも笑っているのが病気/ぐっすり寝たい/すっごくおいしい卵焼き/
     安室奈美恵のように/一八歳から一八年
  2、印刷部   
     本音との折り合い
  3、コロッケ(食品加工会社へのグループ就労)   
     ジョブコーチ

第五章 地域をひらく
  1、「私たちは精神障害者とその応援団でぇーす」  
  2、路上書きなぐり  
  3、風土記の丘の花見  
  4、みんな、みんな人間だ 
     今、家族会は……

第六章 散らばって育つ麦 
  1、親にできぬこと  
  2、「ももたにクリニック」デイケア  
  3、生活支援センター   
     別名アドボカシーセンター付設/岩出・ハートフルハウス/
     「手」を手話で歌う
  4、共同保育所こじか園  
  5、くろしお分場開所式   
     がんばる、たかし君
  6、紀伊風土記   
    元気、根気、呑気/「ぼん」の死

九月のヒマワリ――おわりに 

あとがき 

■映画を創造する前に、ルポを生み出すことの意味 
           きょうされん30周年記念映画プロデューサー  中橋 真紀人
                                  
年 表

●表紙イラスト「若き日の麦の郷に集った人たち」――正垣繁美



〔はじめに〕

  この本は、「心の病」といわれる精神障害をテーマにしたルポルタージュです。
 「心の病」という精神疾患は、多くの場合、障害が残り、本人は、障害と病気の両方を抱えて生活しなくてはなりません。また、精神障害は、目に見えない障害であるため、他人に理解されにくいという面があり、長い間、世間から隔離されて収容されてきたこともあって、偏見も根強く残っています。しかも、精神障害者が、わが国の法律に、障害者として明記されたのは、たいへん遅れてしまったため(一九九三年の障害者基本法の改正で明記)、法の下でそのハンディーを保護されることはありませんでした。
 たとえば、その代表的な疾患である統合失調症は、一〇〇人に一人という高い確率で発病する病気ですが、私たち国民は、今なお、よく理解していませんし、なるべくかかわらないようにと、敬遠しがちです。ときには、理解しにくい「怖い」存在として見られることもあります。
 ところで、この精神障害の分野において日本は、世界の後進国といわれています。それは、精神病院に入院したまま退院できないでいる人たち、いわゆる社会的入院が、厚労省によると七万二千人もいるといわれており(実際はもっと多いかもしれない)、病院の中で人生の大半を費やしてしまうという人も少なくないからです。この長期入院は、いまや世界では少数派になりつつあります。欧米などは、三〇年も前から、ノーマライゼーションと脱施設化(収容施設を出て地域で暮らす)をすすめ、退院を促進してきたからです。日本は、障害者の法律の面でも、精神医療の政策でも、世界から三〇年以上も遅れてしまい、取り残されてしまっているのです。
 そして、その遅れによる過酷な負担が、多くの場合、本人と家族に背負わされてきました。たとえ精神病院から退院できたとしても、世間からは偏見の目で見られ、生活のしづらさという障害があるため、働くこともままならず、利用できる福祉制度や施設も少ないため、ひきこもって生活せざるをえないという現状が続いています。
 この本は、そうした精神障害の人たちとその家族に光を当て、生きる力を引き出し、支えようとする人たちの取り組みを描いています。
 今から三〇年以上も前に、障害者のための共同作業所運動が始まりました。これは、養護学校を卒業しても行き場がない障害者のために、働く場所、生活の場所を地域につくろうという運動です。小規模作業所(一〇数名規模)といわれる、この通所の施設は、国の制度としては認められていないので、運営する費用が支給されず、当初は、周りの人たちの寄付やカンパ、廃品回収や当事者・家族の持ち寄りで、なんとかやりくりしてきました。その後、いくつかの先進的な自治体が補助金制度をつくり、運営の補助をするようになり、ほとんどの自治体に
の制度がひろがったことで、今では、全国で六〇〇〇か所にまで増えてきています。
 また、最初の頃は、知的障害や身体障害の人たちの作業所ができましたが、やがて、精神障害の人たちの作業所もつくられるようになり、精神病院を退院して、最初に足を踏み入れる場所として、生活や仕事の訓練をしたり、仲間づくりやいこいの場所として利用されるようになってきています。
 さて、この物語は、和歌山県という日本で一番遅れていた地域の話です。何が一番かといえば、精神病院の長期入院の日数が一番長かったところです。長期入院世界一の日本のなかで一番ということは、世界でも一番といえる地域でした。そんな地域で、麦の郷は、「放っとけやん(放っておけない)」を原動力に、共同作業所をつくり、精神障害のある人たちを受け入れてきました。住民の方々の理解をえながら、地域に根づき、今や、障害者だけでなく地域全体を「やさしいまち」にしようと、「人にやさしい福祉の街づくりは、この地域から」をスローガンに、みんなで育てる福祉のまちづくりに取り組んでいます。
 二〇年、三〇年という気の遠くなるような時間(青春と人生)を、精神病院の中で過ごさなければならなかった人たちの扉をこじ開け、普通の人と同じように暮らせるように育んできた「麦の郷」。その取材を通じて、いまたくましく生きようとしている一粒一粒の麦たちの群像を、この本で紹介できればと思います。
                                  (編集者・谷 安正)



〔あとがき〕

 “麦の郷”の見学者たちは口々に「ここは立派すぎて参考にならない」とボヤくそうだ。
 埼玉県新座市に精神障害者の息子と十数年暮らしてきた私は、萌文社からこのルポの依頼があった時、とびついた。和歌山は母の故郷で、戦争中疎開した和歌山高等女学校があった懐かしい土地だ。
 家族たちでやっと作業所を作ったのに、そこに行こうとしない息子の現状に焦っていた当時の私は、救いを求めて“麦の郷”に行った。そして、「しまった!」と後悔した。そのスケールの雄大さ、隅々まで行き届いた配慮、荒れ地を耕し種を蒔き育てた精神と実行力。疲れたら一服、昼寝をし、みんなで本音を語り合い、地域をまきこんで必死でやってきたらこうなったそうだ。かんたんに言われるが「これは奇跡」と、私は思った。
 二十数年前、知的、身体障害者が通うぼろっちいアパートに精神障害の姉弟が駆けこんだことに始まる。元看護婦、ワーカー、そして「無謀」と反対していた医師たちも渦にまきこまれ、計画は実現していった。順風満帆だったわけでは決してないが、長期入院率全国一だった和歌山で快挙を成し遂げたのは事実だった。
 「三障害の一元化」は、今回の障害者自立支援法によってはじめて制度化されたが、“麦の郷”では二十数年前から行なわれていた。生活支援、労働支援、障害者活動センター、発達支援センターは、身体、知的、精神、そして幼児、小中校生、高齢者まで各層にわたり、互いにつながりを持って地域に根づいている(組織図217頁参照)。「バリアフリー」ということばはずっと以前から“麦の郷”では実践され、一九九九年、WHO協賛の世界心理社会リハビリテーション学会から「ベストプラクティス(最優良実践施設)」に認定された。
 このように世界から認められた“麦の郷”の大きい特色の一つに、女性の力を挙げたい。当事者の母親はもちろんだが、精神に傷を負った人を我が事と感じた女性たちである。手話のできる元看護婦の伊藤静美さんは「あまり書かんといて」と言われるが、彼女のエネルギーは誰もが認めざるを得ない。時にはつよく抱きしめ、時にはつき放せる女性、その魅力はまわりの人々、とくに当事者とやる気のある女性を引きつけた。
 知的、身体障害者の母親と精神障害者の母親の大きい違いは年令。父親より母親に日常の世話や精神的負担が多くかかるのは同じだが、「精神」は思春期発病のため親の高齢化は避けられない。また、血筋を云々された時、父方より母方に原因があり、育て方が悪かったとされる場合はまだまだ多い。その上、親は我が子と距離をとりにくい。“麦の郷”は親でない女性たちの熱い思いが源になっているように私は思う。もちろん、その熱意にまきこまれた男性たちの多面的な知識や意欲が不可欠だったのはいうまでもないが……。

 最後に、この本の出版が現地でのルポ以来、九年もたったことを“麦の郷”の方々や読者に深くおわびします。いろいろ予期せぬ出来事が重なりました。まず、麦の郷地域リハビリテーション所長・東雄司先生のご逝去。東先生は深い識見をもち、いつも慈愛にみちておられた。そして、百渓陽三先生も亡くなった。激務に命を削り、“一粒の麦”になられたと思う。両先生のご冥福を心からお祈りいたします。
 また、“麦の郷”スタッフによる現場からの貴重な報告『“放っとけやん”ネットワーク』(クリエイツかもがわ 二〇〇〇年発行)も急がれた。
 私事だが、身内の突然の不幸、私の大病、息子の不調とつぎつぎ重なり、原稿は段ボール箱に眠っていた。ところが、今回思いがけなく「イメージ・サテライト」の中橋真紀人さんが発掘して下さり、出版の運びとなる。ありがとうございました。
 そして、「今さら」と尻ごみする私を励まして下さった大病後の伊藤静美さん、細かい所に目を通して下さった田中秀樹さん、加藤直人さん他皆さん、そして何よりも当事者お一人お一人に深く感謝します。無理をして頂いた萌文社の谷安正さん、現場の皆さん、私を支えてくれた友人や家族にも「ありがとう」を……。



〔映画を創造する前に、ルポを生み出すことの意味〕
           きょうされん30周年記念映画プロデューサー 中橋 真紀人

 きょうされん三〇周年記念映画の企画を検討しているなかで「麦の郷」の名前があがり、リサーチすることになった。精神障害者分野をテーマとする方向性が出ている中で、少々の勉強はしており、その名前は聞いていたが、素人である私は実情を知らなかった。
 まずは、『みんなの共同作業所』(ぶどう社‥一九九七年)、『“放っとけやん”ネットワーク〜時代を切り拓く「地域生活支援」』(クリエイツかもがわ‥二〇〇〇年)と『働く現場からの報告』(一麦会‥二〇〇二年)を読んで、感心した。そして『精神障害者・自立への道』(ミネルヴァ書房‥一九九一年)を探し当て、感銘を深めた。
 いくつかの専門書も読んでいくと、一層わからなくなる難解な世界であると感じていたが、これらの実践報告からは鮮烈な人間像が浮かび上がってきた。
 まずは「麦の郷」を訪問することが鍵となり、“二泊三日でないと見れませんよ!”という伊藤静美さんの“注文”に従い、ゆっくり見学させてもらい、田中理事長や加藤副理事長ら「麦の郷」の多くの人々から様々な話を伺った。その折りには、『麦の郷障害者地域リハビリテーション研究所報』(東雄司先生、百渓陽三先生の著作集=特集号)を頂戴し、丁寧に読み込んだ。(東先生や百渓先生にお会いしたかったが、数年前に亡くなられていたのがとても残念であった)

 こうして、映画の物語のイメージが見えてくるようになった。そんなプロセスで、私は出会った人々の顔と話を思い浮かべる時、これらの中身をまずは活字で伝えることの必要性を感じていた。そして〈ルポルタージュ〉を作ろうと考えていたら、様々な事情で編集がストップしていた本の原稿が登場してきたのである。
 こんな素晴らしい材料が眠っているのはもったいない! と、編集責任者の谷さんに会い、さらには著者の熊谷順子さんに会い、その刊行作業の再開をお願いした。それからは、映画の準備も始まり、忙しい日々の合間に、この本についての議論も行なわれた。
 そのなかで、「自分らが持ち上げられているようで気恥ずかしい」という意見が「麦の郷」の関係者から出された。その気持ちはよく理解できたのだが、私は答えた―「長い年月を頑張ってきた皆さんの姿や言葉、その思いを、リアルに伝えることがこの本の役割。過去の一連の自主出版は、実践報告であり貴重だが、人間の顔を連想させる面白さが不足している」と少し厳しい主張で、この本の実現をお願いし、了解を頂いた。その後は、大変な作業が続いたよ
うであるが、ともかくも素晴らしい本が完成した。(ちなみに、二〇〇七年三月には「麦の郷」も三〇周年を迎え、記念の出版物として『どこまでも……みんなで歩んだ三十年』(一麦会発行)が刊行された。これは長い歴史の苦労と成果を見事に集大成した貴重な本である)

 この本の内容が基礎的な材料のひとつとなり、その他の膨大な資料も参考にしつつ、ジェームス三木さんが予想を超える素晴らしいシナリオを作られている。この本の読者が完成した映画を見られるとき、「想定外の面白さ!?」で、大きな感動と驚きを感じられるでしょう。
 この原稿を書いた後には、脚本家、監督、俳優など多くのスタッフやキャストのエネルギーと情熱を結集した「映画」の創造の作業が始まる。その成果が皆さんのところに届くとき、日本の障害者福祉、特に精神保健福祉の新たな改革の一歩が始まるという予感を感じている。
 この本の作業も含め、映画の準備のプロセスは全て、私自身にとって、貴重な勉強と新鮮な驚きの連続であり“人間とは、人生とは……”を考える大切な時間となった。「麦の郷」をはじめとする数多くの関係者の皆さんに深く感謝をお伝えする。
 そして、この本の著者である熊谷さんのご努力に改めて敬服の念とお礼を申し上げると共に、編集の谷さんには次々と無理なお願いを受入れて頂き、本当に感謝を申し上げる。
                        (二〇〇七年陽春、五十代半ばの誕生日を前にして)

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