くもりのち晴れ―目次
エッセー集の発刊に寄せて
逞しいヒューマニズムで貫かれている 滋賀大学名誉教授 岡本 巌 1
「滋賀に辻あり」と畏敬される人 自治労連中央執行委員長 駒場忠親 3
第一部 曇りのち晴れ 13
お寺の鐘が徴用された時代▼―――1994.5.19 14
長寿を慶びあえる社会へ▼―――1994.5.23 15
大切にしたい子どもとのふれあい▼―――1994.6.17 17
起ち上がった女子学生▼―――1994.8.5 18
ヒロシマでの村山総理▼―――1994.8.12 20
びわ湖の水位と水問題▼―――1994.9.6 21
アルバイト・スチュワーデス問題▼―――1994.9.13 23
「全体の奉仕者」との権利宣言▼―――1994.10.4 24
妻の二人に一人が「離婚を考えたことがある」▼―――1994.12.6 26
震災で一番に駆けつけた市民▼―――1995.1.27 27
神戸から届いた礼状▼―――1995.3.14 29
三国岳と夜叉ヶ池を訪ねて▼―――1995.5.16 30
『日本一短い母への手紙』から▼―――1995.6.6 32
就職戦線「超氷河期」の時代▼―――1995.7.28 33
忘れてはならない、あの戦争の真実▼―――1995.9.5 35
牛乳パックとお年寄りの話▼―――1995.9.13 36
木之本保健所をなくすなと集まった人々▼―――1995.12.11 38
「カラ出張」問題、北海道庁と滋賀県庁の違い▼―――1995.2.6 39
「人間の鎖」が官僚を追いつめた▼―――1996.2.21 41
世界一高い日本の大学▼―――1996.3.5 42
JRでの事故と「儲け第一主義」▼―――1996.5.8 44
母子家庭の餓死事件をめぐって▼―――1996.5.14 45
金居原揚水ダムとイヌワシ・クマタカ▼―――1996.6.6 47
走ることは自己表現です―「反核マラソン」▼―――1996.7.17 49
日ハム上田監督の辞任と統一教会▼―――1996.9.24 51
社員の保険金を詐取するという国▼―――1996.11.21 52
近藤正臣さんと長良川河口堰のこと▼―――1997.1.22 54
重油流失事故で三国湾へ▼―――1997.2.4 55
沖縄鳥島での「劣化ウラン弾」事件▼―――1997.2.21 57
成果主義賃金と企業犯罪▼―――1997.5.14 59
スイスでは拒否された女性の深夜労働▼―――1997.5.20 60
イギリスでフランスで相次ぐ政権交代▼―――1997.6.11 62
「世界で唯一元気な共産党」とロイター通信▼―――1997.7.15 63
教科書裁判と家永三郎さんのこと▼―――1997.9.29 65
避難住宅での孤独死という悲劇▼―――1997.10.16 67
長野オリンピックとイラク戦争の危機▼―――1998.2.20 68
光泉中・高校、五人の先生のたたかい▼―――1998.4.6 70
核兵器廃絶へ町長さんの「常識」▼―――1999.6.21 72
子どもが風邪でも早く帰ってやれない社会?▼―――2001.1.16 73
マスコミに残る「解同タブー」―高知の事件から▼―――2001.5.17 75
二人の町長を交えた合併シンポで▼―――2001.7.17 76
夏の甲子園で近江高校が快進撃▼―――2001.9.5 78
もはや泥沼状態―自治労の裏金問題▼―――2001.10.12 80
枝垂れ桜と介護保険問題▼―――2001.12.6 81
二〇〇一年締めくくりカルタ▼―――2001.12.25 83
大阪弁のカラスと牛肉詰め替え事件▼―――2002.2.21 85
「サラ金」の隆盛と配られるティッシュ▼―――2002.4.23 87
「五事を正す」へ「誤事を正す」の反論▼―――2002.5.15 88
三週間の連続休暇には割り増し賃金……スウェーデンの話です▼―――2002.6.25 90
「天保一揆」と平兵衛のこと▼―――2002.7.24 92
長野県田中知事の「五直し」の話▼―――2002.9.20 93
二〇〇二年を締めくくる「あかさたなカルタ」▼―――2002.12.20 95
國松流・権力の集中が狙い?「機構改革」▼―――2003.3.19 97
豊郷で大野氏再選に動いた「影の力」▼―――2003.5.7 99
「仕事探し」もサラ金で、ということか?▼―――2003.6.4 100
志賀町民が示した三度の選択▼―――2003.11.5 102
やめたくてもやめられない―「たばこ訴訟」のこと▼―――2003.11.12 104
二〇〇三年締めくくり「あかさたなカルタ」▼―――2003.12.25 106
映画半落ちのこと▼―――2004.2.18 108
今度は「五事を正す」の唱和まで▼―――2004.4.13 109
年金改悪と国会議員の未納問題▼―――2004.5.21 111
「お父さん仕事に行ったらアカン」―悲しい詩▼―――2004.9.17 113
優太ちゃんの救出と香田さんの死▼―――2004.11.8 115
相次ぐ「集団自殺」事件……なぜ?▼―――2004.12.7 117
NHK報道への政治介入と受信料のこと▼―――2005.2.2 118
マータイさんと「もったいない」文化▼―――2005.3.24 120
一〇七名の命を奪ったJR尼崎の事故▼―――2005.5.12 122
歴史も文化も近くて親しい国、韓国との友好を▼―――2005.6.2 124
石原東京都知事のこと▼―――2005.6.22 125
新幹線新駅は「不便」と認めた(?)県広報▼―――2005.7.29 127
「刺客」騒ぎは、国民の声が「死角」に▼―――2005.8.29 129
世界の人々から称賛される憲法九条▼―――2006.1.4 130
第二部 京町三丁目 133
党名を変えても消えない歴史的汚点▼―――1996.2.2 134
「大庭嘉門」事件のこと▼―――1996.11.25 135
女子保護規定廃止で男も女も大変なことに▼―――1997.3.26 136
米軍のために国民の財産を奪う国▼―――1997.4.30 137
プロ野球の「乱闘事件」とスポーツ文化▼―――1997.6.11 139
学生を死に追いやる求職活動▼―――1997.7.15 140
景気対策といえば公共事業という「愚」▼―――1997.11.4 141
「むじんくん」の奥のアリ地獄▼―――1997.12.15 143
ヤクルトおばさんのこと▼―――1998.4.27 144
サッカークジ「toto」▼―――1998.4.27 146
県の公金横領事件ともみ消し疑惑▼―――1998.8.1 147
彼岸花と日本の農家のこと▼―――1998.10.8 149
朽木村に響く声―「びわこ空港はいらない」▼―――1998.11.19 150
養護学校で恩師との出会い▼―――1998.12.8 152
現代版「楢山節考」と介護保険▼―――1999.4.5 154
戦争の血で白衣は汚さない―看護師の決意▼―――1999.6.5 155
川田龍平くんと厚生省課長の対決▼―――1999.7.23 157
一九九九年を締めくくる「あかさたなカルタ」▼―――1999.12.10 158
変わらぬ警察の体質と労働組合▼―――2000.3.15 160
五〇〇〇万円を超える恐喝事件のこと▼―――2000.4.19 162
不作為の作為による犯罪▼―――2000.7.25 163
潜水艦に閉じこめられた一一八名の命▼―――2000.8.30 165
シドニーオリンピックと朝鮮半島の危機▼―――2000.10.4 166
身近に起こった「おやじ狩り」事件▼―――2001.12.23 168
現代学生「百人一首」がおもしろい▼―――2001.2.23 169
とうとう始まった「toto」▼―――2001.4.5 171
イチローの「大きさ」「大リーグ感覚」▼―――2001.5.21 173
映画『ホタル』のこと▼―――2001.6.20 174
将来に希望が持てない日本の子どもたち▼―――2001.8.24 176
「目には目を」を許さず、理性的な対応を▼―――2001.10.3 177
「ふざけている」か「食べている」だけのテレビ番組▼―――2001.11.9 179
アフガン支援に自衛隊機という魂胆▼―――2001.12.7 180
雪印から三菱へと続く企業犯罪▼―――2002.2.15 182
「ムネオハウス」から「加藤問題」まで▼―――2002.4.1 183
ふえつづける「ホームレス」と失業問題▼―――2002.5.1 185
夫婦別姓制度―なかなか実現しないのはなぜ?▼―――2002.6.12 186
勤務評定の中身は、やはり「人物評価」▼―――2002.7.23 188
百日紅と広島からの呼びかけ▼―――2002.8.26 189
中学生の時に出会った「朝鮮の子」のこと▼―――2002.10.4 191
現代版「隔離政策」?▼―――2002.12.6 192
改革派市長をむかえたシンポジウム▼―――2003.3.25 193
イラクでの最大の被害者は子どもたち▼―――2003.4.21 195
鳥たちも迷惑な「鵜のみ」「オウム返し」▼―――2003.6.19 196
子どもたちに広がる凶悪性犯罪▼―――2003.7.25 198
自動販売機がない国―フランス▼―――2003.8.22 200
「マック・ジョブ」という新語のこと▼―――2003.12.1 201
「今どきの子」の川柳に泣いたり笑ったり▼―――2004.2.20 203
オレオレ詐欺から架空請求まで▼―――2004.4.26 204
「腹出し」から「半ケツ」まで―これもフアッション?▼―――2004.5.24 206
壊された県労連の看板と置き手紙▼―――2004.6.23 207
「分をわきまえろ!」とは許せぬ時代錯誤▼―――2004.7.26 209
「たかが……」などと言う前にご自身が勉強したら?▼―――2004.9.13 210
異常気象と京都議定書のこと▼―――2004.10.27 212
異常な事件は、この国の「異常さ」の反映か▼―――2004.12.7 213
「全県一区」で、どうなる子どもたち▼―――2005.2.28 215
ヘンな日本語について▼―――2005.4.7 216
元気な韓国労働運動に学ぶ▼―――2005.5.30 218
「かわいい女」から「セレブ女」になる秘訣?▼―――2005.6.24 219
指定管理者制度での「民主」の二枚舌▼―――2005.8.4 221
ローカル・テレビ局「BBC」への注文▼―――2005.10.13 222
これでもまだ進めるのか「官から民へ」▼―――2005.12.15 224
あとがきにかえて 227
◇エッセー集の発刊に寄せて
逞しいヒューマニズムで貫かれている
滋賀大学名誉教授 岡本 巌
今春、辻義則氏は滋賀県職員組合委員長を退任されることになりました。この退任を機に、在任中に連載した「コラム」をとりまとめて、出版することになったものです。
本書は二部からなるエッセー集です。第T部は前記県職の機関誌に載せられた「くもりのち晴れ」と題するコラムであり、第U部はこれも彼が委員長を務める滋賀県自治体労働組合総連合の機関誌の「京町3丁目」欄に連載されたものです。
これらのエッセーには、彼の心根の優しさがにじみ出ています。周りへの気配りの周到さが伝わってきます。そして一方では、横暴な権力に対しては一歩も退かず、敢然と立ち向かう姿があります。一見、相反するようですが、これが彼の真骨頂であり、逞しいヒューマニズムで貫かれています。信望厚く、永年にわたって労働組合を率いてこられた根幹もここにあると思われます。
辻さんが住民運動に情熱を傾け、その県職が常に運動の事務局を担当してきたこともよく知られています。かつては「びわこ空港」反対運動、現在は「新幹線新駅」阻止運動。いずれも県職を拠りどころとして執拗に住民投票を求め、多くの賛同署名を得てきました。
現県政の開発至上主義・排他的競争主義が続く限り、彼の闘いは止むことはありますまい。
そして国政レベルでは憲法問題。彼からの年賀状に「今年は憲法を守る大事な年です」と決意の表明がありました。
好漢 辻義則さん、頑張れ!
「滋賀に辻あり」と畏敬される人
自治労連中央執行委員長 駒場 忠親
リーダーに必要な知識や知性とは何か。
「他人の身になって感じることができる、弱者の身になって感じることができる感性をもてること」、「政治家の言うことを鵜呑みにしないで自分で物を知ろうとする好奇心」。
南アフリカ共和国の黒人解放運動指導者で、同国の初代大統領として知られる、ネルソン・マンデラ氏の言葉と言われている。
身の丈はさほど大きいわけではない。しかし武道で鍛えた体躯のせいか、英傑の雰囲気を漂わせ、威圧感で周囲を圧倒する。ある人は尊敬の念をこめつつ「異形の組合リーダー」と呼んだ。
そんな著者が何故「滋賀に雄あり」「滋賀に辻義則あり」と、組合員はもとより広く行政人や知識人からも慕われ畏敬されるのか。
本書は読者のそんな問いに十分なまでに応えてくれるに違いない。
権威・権力に対する頑ななまでの反骨心。理不尽さに涙する仲間への激情。そして季節の移ろいに花開く草木に寄り添う柔らかな眼は、ネルソン・マンデラ氏の言葉と見事なまでに重なり合う。
ポンと音がして日傘が開き、その婦人の足元には陽炎が揺らめいています。この情景は美しかった若きころの母のイメージがあって心和みます。
真夏日の七月。ふるさと長浜で開催された「市町村合併シンポ」にちなむ随想での著者の心象風景だ。やさしいまでの感性が人を魅きつける。
さて本書で紹介される草木のひとつにコスモスがある。ちなみにその花言葉は愛情とされている。
あとがきにかえて
私が滋賀県職員組合の委員長に就任したのが、一九九四年でした。
以来今日までの一二年間、組合の機関誌『県職ニュース』のコラム欄「くもりのち晴れ」の執筆を担当し、およそ一か月に一回のペースで、その折々のさまざまなことを、思いつくままに書きつづけてきました。また、滋賀自治労連の機関誌『自治体しがの仲間』にも「京町3丁目」欄を連載してきました。
「くもりのち晴れ」は、途中スランプに陥り、まったく書けなかったこともありました。「京町3丁目」は、いつもギリギリの締め切りに追い立てられての執筆でした。いずれも、読み返せば恥ずかしくなるようなつたない文章ばかりです。この拙文に長い間あたたかくお付き合いくださった組合員の方々や職場の皆さんには、感謝申し上げなければなりません。
それなのに、それをまとめて出版するというのですから厚かましいかぎりですが、もともとは、「私の生きた証に“棺桶の土産”にでもなれば」といった程度の動機から思い立ったものでした。
この本の企画・編集・出版にあたっては、〈いりすの松坂尚美さん、信楽の作家木下正実さん、Be企画の長谷川恭市さん、そのほかの方々に、たいへんお世話になりました。
カバーと表紙は、長く湖北町で共産党の町会議員をしてこられた柴辻嘉平さんの作品―私が愛してやまない故郷長浜の街並みと伊吹山の美しい絵で彩っていただき、題字は書家の吉田和夫さんが麗筆をふるってくださいました。帯には「滋賀・九条の会」の近藤学先生に“過激な”推薦の言葉を頂戴しました。さらに、私の敬愛する岡本厳先生と自治労連の駒場忠親委員長には身に余る言葉とともに、お二人の才筆による秀文で巻頭を序していただきました。皆さんに心から感謝いたします。
年月の積み重ねと多くの皆さんの好意に支えられて、ともかくも一冊の書を世に出すことができたことは、私にとって望外の喜びでもあります。
そもそも、この「くもりのち晴れ」という表題は、私たちの運動が直面する困難も曇り程度のものという“強がり”と、いずれは晴れるという“希望”と、社会進歩への“確信”から名づけたものでした。現実社会の天気には、なかなか晴れ間が見えてこないような気もしますが、“いつか晴れる”と希望を持ち、歩みつづけたいと思います。
県内の高校を卒業して滋賀県庁に入職してから、およそ四〇年余りになります。この間、県の職員として働き、あわせて自治体運動にも携わってきました。ふりかえってみれば、長い年月を、多くの仲間に支えられ、歩みつづけられたことは幸せでしたし、多くのことを学ぶこともできました。
なによりも、「びわこ空港」反対の運動や新幹線「びわこ栗東駅」建設の是非を問う住民投票を求める運動のなかに身を置くことができたのは、私にとって喜びであり、誇りでもあります。ひき続き県民の皆さんとともに住民自治の前進のために力を尽くしたいと思います。
二〇〇六年三月
辻 義則 |