トンネルをぬけて──序

 みどりがこくなった。花ばなが一斉に咲きはじめ、鯉のぼりが、少なくなった分だけ空が広いとばかり、力いっぱいビルの屋上で泳いでいる。
 息子の英太は眠い目をしながら、ともかく朝食をかきこんで、友人との約束の場所にでかけた。今日はさらさらした五月晴れの空気の中で、「下手になった」と嘆きながらも久しぶりに白球を追い続けているだろう。
 たまさかの幸せがそこにある。
 息子が十年近くも前に通所させてもらっていた東京都中部総合精神保健福祉センター(以下、中部センターという)のテニスコートで、相手になってくれたのは、昔同じ作業所に居たS君。彼も今日のような日が訪れることは、予想できただろうか。
 S君はほとんど強制入院に近い形で病院に入ってからの月日、約三年に近い年月の間に、見事に人間を喪失した姿になり、見るかげもなく痩せおとろえ、床擦れさえつくって、抑制(閉鎖病棟で一時期の病人を抑制という形でベッドにしばること)されていた。誰が今日のS君をあの同じ人物だと想像できようか。
 彼は、その地獄から這いだして、一年あまり中部センターのホステル(中期宿泊入所訓練施設)で社会復帰訓練を果たしたあと、一般の賃貸住宅の一室で自活している。それからかれこれ一年半、最近は昔やったテニスに精をだし、真っ黒に日焼けして、知り合った頃以上に健康そのものだ。しかし、彼は今でも調子が高くなると、極力自制して、酒、たばこ、女性への接触をさける努力をしているようだ。
 英太は、そのS君と中部センターのドクターに、テニスの相手にと誘われ、出かけていったのである。
 久しぶりに一人きりになった私は、季節におくれてはならじと、朝顔の植え替えをする。季節が驚くほど足早にめぐる。息子が発病してから、今年で何年になるだろう。
 十年のトンネル──と私は思う。
 トンネルは必ずぬけられますから……と主治医にはげまされてここまできた。
 真っ暗な闇の中──どっち向いて歩き出してよいのか、ただ孤独な息子と手を握りあって夢中で歩き続けたこの十年。
 病気がすっかり治るには、ほど遠い現状ではあるが、ともかく大勢の友人に支えられ、励まし励まされながら、ここまでこられた。
 何かおかしい……と母親の直感でうけとめながら、ともにのたうった日々。ようやく医療をうけはじめたものの、病気への無知、まさかの思いの病名──。
 本人はもとより、「どうして? 何故? なぜ我が子にかぎって……」と問いつめる日々……今ようやく少し冷静に、それらの日々を振り返る余裕ができた、と思って気が付けば、自分の余命はあといくばくであろうか。
 病人に心を遺しながら、多くの友人が病に倒れ、鬼籍にはいられる。あと私にできることは──と自問しながら、せめてトンネルの中の十年を、体験をもとにして書き留めておくことが、私にできるわずかの仕事でもあろうかと、しきりに思われる。
 病気の形は、そのあらわれかたは百人が百様であるとよく聞かされる。この病に限って言えば、健常な側面が大きければ大きいほど、世間からは誤解を受けやすい。親・兄弟からですら、「なまけもの」「かわりもの」と異端視され、身体的に異常が見えない分、自分でもあせり、親もあきらめきれない。せめて世間並みに働いて稼いでくれたら、せめて……、せめて……と要望は尽きない。
 「あきらめ」という言葉がこれほど適切に迫ってくることを、私はこの歳まで知らなかった。あきらめとは、あきらかに視ると解す。現実をあきらかに視、余分の希望・願望にゆさぶられず、自若として命を生きる─―。この姿勢に到着できるまで、まだまだ親も、当人も悩み続けなければならないかもしれない。しかし、ともかくも十年のトンネルはぬけたのだ。
 今日この五月の青空のように、胸いっぱい深呼吸をして、この一日の命をたしかめよう。

 目 次

 第1章 発病
 何が原因だったのか/死にたがる子/「生命」/異性との付き合い/自立へのはばたき/結婚・たまさかの幸せ/告知/狂気と言われて/定義はもうたくさん!

 第2章 離婚  別れの序曲/尋ね歩く日々/私の発病/会社との交渉/離婚/絶唱/森には道がないのだ/時間よ まわっておくれ(孫とわかれて)

 第3章 かくさず生きること  親戚への告知/可能性は何でも/カクタスの花/おバカさん―息子も母も―

 第4章 病気への認識と作業所  中部センターにたどりつくまで/夫の発病/地域の作業所へ/作業所の家族会の中で/はじめての自己開示/厳冬の朝に/墓標(生命あるもののために)

 第5章 もっと素敵な生活のために 「さくら会」への入会と「S・S・T」への参加/旧友との邂逅/「気」の字の遊び/二〜三の成功例を追って

 あとがき

 この稿を起こすことを思い立ってから、はや数年の月日が流れてしまった。
 やっと重い腰をあげて、萌文社に出版のお世話を依頼してほどなく、大阪教育大学付属池田小学校での児童殺傷事件という、あまりにも悲惨、衝撃的なことが起こってしまった。
 私は矢も盾もたまらず、全国精神障害者家族会連合会に、この事件について、家族としていっときも早く犠牲者への弔意をあらわすとともに、マスコミなど世間にこれ以上の偏見を助長するような報道をつつしむよう、声明を発表してほしいと懇願し、やがて叶えられた。
 その効果があってか、事後の報道はある程度無責任な詮索をひかえ、事件は専門家の手にゆだねられていることと推測する。
 しかし、この事件でも明るみに出たのが、「自傷他害のおそれがある」とされるひとびとへの受け皿の貧困さと、対応の不充分さであろう。

 私は、どうしてもこの病気にさいなまられている本人や、その家族が堂々と病気をかくさず、まず医療につながり、地域の保健福祉のネットワークを利用することをお勧めしたい。我が子の原因不明の「ひきこもり」「暴力」に悩む親はあとを絶たない。その対策として、精神障害と名付けられるか否かにかかわらず、かくさず相談すること。適切な対応や治療を受けることによって、より多くの苦しむ人たちに明るい笑顔の戻ることを切望する。そしてハンセン病のようにその原因と治療法の進歩解明が一日も早くすすむことを祈っている。

 私の居住していた世田谷は、さいわい精神障害のための医療施設、社会復帰施設(いわゆる作業所をふくむ)にも、東京二三区中とくに恵まれている地域と聞く。その要因の一つに、創立三十有余年を迎える「さくら会」とよばれる家族会の存在が大きく寄与していると思う。
 私もその家族会に永年お世話になっている。ここではなんのお手伝いもせずに来てしまった私に言う資格はないのだが、この紙上をかりて紹介するのもせめてもの恩返しかとも思われて、あえて字数を費やすことをお許しいただきたい。
 それは毎月の家族教室(精神障害者についての家族向けの教育の場)、S・S・T(生活技能訓練)、「こころの相談室」などにはじまり、その会を主催する多くの事業、ことに「さくらハウス」と呼ばれるグループホーム、その交流室の充実などは、ここ数年のうちにめざましいものがある。また先進的なヘルパーの派遣事業やごく最近には家族のためのショートステイなどなどの実施も進んで、ほんとうに家族のニーズにぴったりの企画がなされ、それが毎月発行される、「さくら会のおしらせ」に満載されている。そしてそれらの運営は主に家族の有償・無償のボランティアに支えられている部分も多く、参加する家族自身も、そのなかで役割を得て気持ちの糧にしていることも多い。
 その他、世田谷では病気の症状や嗜好、能力に合った作業所を選択して通所できること。その間に作業所の壁を取り払う連絡会もスタッフによって企画されている。一方、地域の行政の窓口や、保健婦さんたちの努力にも負うところが多い。

 最後にこの拙い独白にも似た文章を添削してくださったり、素人がはじめて出版するなどと、無鉄砲な思いつきにたいして、声援を送り、見守ってくださっている萌文社の方がたをはじめ、多くの方がたに対して、感謝してもしきれない気持ちでいっぱいである。

 二〇〇一年 秋                                   著 者