もくじ
『新・てんかんと私――ひびけ、とどけ! 34人の声』の刊行に寄せて
財団法人 日本精神衛生会 会長 秋元波留夫
希望と勇気、そして共感をあなたに
社団法人日本てんかん協会会長 鶴井 啓司
1章 てんかんとともに生きて
輝く人間として 千葉 禎子
てんかんに甘んじない 宇野 浩司
イアン・カーティスをご存知ですか 大西八重子
てんかんという病から得たもの 金子 敏子
「できる」というものがある幸せ 佐藤かおる
◎手記を読んで………下川 悦治
2章 てんかんの子の親として
「お母さん、給料もらったよ!」 黒田チズ子
娘は間もなく一九歳 栗田三枝子
大好きな洋平君へ 重田 美幸
映画で知ったケトン食療法 芳野アサ子
◎手記を読んで………岡田 則子
3章 医療に望むこと
転院と三度の手術 北村 恵子
我が家のドクターランキング・ナンバーワン 榊原真智子
地域にほしい医療と施設 山本まち子
脳外科手術に踏み切るまで 山本 佳代
私と新潟とてんかんと 林 茂
◎手記を読んで………粟屋 豊
4章 教育・保育への問いかけ
親としてできること 小倉 義昭
真実を学べる場を 小島 浩美
先生と医師と仲間に育てられて 柄沢 和位
夢と希望を持ち続けて 柴尾眞由美
五〇歳の大学生 成宮 正彦
◎手記を読んで………緒方 惟淳
5章 てんかんをもちながら働くこと
みなさんの就職へのアドバイス 藤本 美咲
その壁は予想以上に高かった 星野 直
農業をしたい 高橋 彬
自分で歩いています、強く楽しく幸せになりたい 桐山みゆき
資格習得で得た生きる喜び 重松 歳一
◎手記を読んで………青蛛@智夫
6章 結婚・出産・離婚の経験
正直は愛のはじまり? 持山 馨
結婚そして愛する娘の誕生 秋山 美香
初めて仲間と知りあえて 澤井 祐治
独占欲を糧にして 遠藤安紀子
病気で失ったことプラスになったこと 柴原 清
◎手記を読んで………大西八重子
7章 家族のきずな・社会とのつながりのなかで
弟にもらった人生の目標 城口 朝雄
真夏のカミナリのような娘でした 渡辺 千絵
祐貴との一〇年 伊東 清美
兄から学んだこと 河野 暢明
みいちゃん大丈夫? 翔くん大丈夫? 田中 明美
◎手記を読んで………福井 典子
あとがき 社団法人日本てんかん協会常務理事 福井 典子
資料 @知っておきたい制度と社会資源 Aてんかんの分類 Bてんかんの国際分類
C薬剤表
社団法人日本てんかん協会(別名 波の会)ご案内
☆出版にあたって
希望と勇気、そして共感をあなたに
社団法人日本てんかん協会会長 鶴井 啓司
この国にてんかん運動が芽生えて30年が経ちました。有史以来、原因不明の不治の病といわれ多くの人を苦しめてきた「てんかん」は、20世紀になって『脳神経の慢性疾患』であることが分かり、薬で発作を抑え、治すことも可能になりました。1973年、この科学・医学の進歩を背景に、てんかんを持つ本人・家族、そして医師、専門職、ボランティアなどの支援者が集って、てんかんの正しい知識を社会に広める運動が始まったのです。それから30年、てんかん運動は全国に広がり、日本てんかん協会は47都道府県すべてに支部をもつ運動団体になりました。そして、偏見と差別を怖れ、苦しさを声に出すこともできなかった当事者が、少しずつ「自らを語る」ことができるようになりました。
本書『新・てんかんと私――ひびけ、とどけ! 34人の声』は、自らが、家族がてんかんであることを診断・宣告され、絶望感・孤独感を経験し、それを乗り越えて、てんかんを正面から受容し、前向きに生きることを決意した人たちが自らを語っている手記集です。「自らを語る」当事者の声が、社会の多くの人の心を動かし、また、いまも心を閉ざして苦悩している当事者一人ひとりの心に希望と勇気の灯をともしてくれることを念じて、この本を出版いたします。
てんかん運動30周年の記念事業を企画するにあたって、私は躊躇なく『新・てんかんと私――ひびけ、とどけ! 34人の声』をつくりたいと思いました。というのも、前作の『てんかんと私』(1985年、日本てんかん協会編・ぶどう社)が、私のてんかんに対する認識を変え、極論すると人生観をも変え、私がてんかん運動にかかわる大きな要因となったからです。
前作『てんかんと私』は、てんかんを持つ本人と家族が綴る初めての手記として、社会的にも反響を呼び、これまでに協会が発行した書籍の中で飛び抜けてベストセラーとなった本です。その本には、私の妻も手記を載せており、生後7か月でてんかんを発病した長男の理と母親の10年間におよぶ闘病記が綴られていました。何気なく手にとって、読むにつれ、私の心は激しく動揺しました。それまでの私は、「理のてんかん発作は10年で5回ほどしかなく、多動で少し問題はあっても、成長するにつれ良くなるだろう」程度に考えていましたので、一緒に暮らしていながら妻の苦しい胸の内を知る由もありませんでした。当然、文中には私は登場しませんし、家族の手記ではなく母子の手記になっています。私は、前作によって、自分が夫として、父親としての役割が果たせていないことを思い知らされたのです。同時に、他の方の手記を一つひとつ読みながら、てんかんが抱えている問題の根の深さも知ることとなりました。
それからの私は、すでに協会の愛媛県支部準備会代表として活動していた妻にできる限り協力することを心掛け、2年後に製作したビデオ『おさむ君の世界「てんかん」てなーに?』(1987年)にも出演し、その秋の支部設立では、妻の要請を受けて代表に就任しました。翌年には協会の理事にもなり、四国ブロック担当として7期14年間、高知、香川、徳島の支部設立のお手伝いなどをしてきました。そして、2002年に会長に就任したのです。私にとって、『てんかんと私』はてんかん運動の原点といってもいいでしょう。
前作『てんかんと私』で小学校3年生だった理は、ちょうどその頃に協会活動で知った久郷敏明先生(当時は山陽荘病院・山口県)との出会いによってやっと納得のいく診療が受けられるようになり、すぐに余分な薬を減らして、ほとんど発作も起こらないまま回復していきました。中学校に入る頃には最後まで服用していたデパケンを減らしていき、2年生で完全に薬との縁が切れたのです。春の初め、まだ土筆が生えているような田園地帯の中にある香川医科大学で、久郷先生から「完治」を告げられた感動は、いまも忘れられません。
しかし、進学するたびに病気について説明し、理解を求める学校生活は相変わらずでした。大好きな水泳部では一度は入部を断られ、入部しても対外試合には出してもらえず、親も子も悔しい思いをしました。高等学校では学力不足や社会性などに問題があって、あまり楽しい学校生活ではなかったのかもしれません。それでも大好きな絵や漫画を描くことには打ち込めたようで、校外での様々な活動にも参加していました。カメラを片手に県内のイベントに参加し、高校総合文化祭では看板などの製作に汗を流したようです。そのなかで自分の進みたい道も見つかったのでしょう。デッサンの実技試験だけで入れる大学を見つけてきて、学校推薦をもらい、オホーツク海の見えるはるか遠くの大学の美術学部へ進学しました。薬は完全に切れていたとはいえ、親元を離すことに少し心配がありましたが、本人は張り切って旅立ちました。彼にとっては一つひとつが勉強であると分かってはいても、遠く離れているだけに親にとっては心配の種でした(近くにいたら、きっと腹立たしいことばかりだったでしょうが……)。
大学を卒業してからは埼玉に移り住み、漫画家になりたいという夢を追いかけてフリーター生活を続けていました。まだ自分が見えてなくてふわふわしているようなので、妻と話し合い、しばらく辛抱して、彼が自分を見つめることができるようになるまで待つことにしました。5年が経ち、彼が27歳になった昨年、彼もようやくそれまでの生活を続けていても駄目だと気付いたようで、都内にある印刷関連会社に就職しました。漫画家になる夢は実現していませんが、美術の知識を生かした職業を自分で見つけて、朝早くから夜遅くまで張り切って仕事をしています。いま、やっと親として安心して見ていられるようになりました。
子どもはてんかんから卒業しましたが、両親は相変わらず現役のままで、妻は支部事務局長としててんかん運動を続けています。また、勤務先の盲学校や養護学校でもてんかんを持つ子どもたちと接することが多く、自らの経験と知識を生かして頑張っています。子育てを終えた我が家は、協会活動が夫婦間でいちばん理解し合える共通の話題であり、どうやらそれがふたりの鎹になっているようです。
この前文を書くにあたって、私も「自らを語る」ことが、『新・てんかんと私――ひびけ、とどけ! 34人の声』を読者に薦める最良のメッセージだと思い、手記を綴ることにしました。約100万人といわれるてんかん患者とその家族、そして行政・医療・福祉・教育・就労等の各分野でてんかんにかかわりのある方々が、この手記集をぜひともお読みくださり、てんかんについての理解を深められ、それぞれの立場でてんかん運動に参加・支援していただくことを心から願っています。 (つるい けいじ)
あとがき
わが国で、てんかん運動がスタートしてちょうど30年になります。それを記念して「社団法人日本てんかん協会」で何か事業をと考えたときに、まず私たちの頭に浮かんだのが、「本」の発行でした。1985年に、やはり同じ題名の本(『てんかんと私』)を出版して、好評を博したのを思い出してのことでもありました。この間、20年近くの歳月は当事者や家族にどんな変化をもたらしたのか、私たちの今後はどうあるべきなのかを改めて明らかにし、世に問うことの意義を思いながら、本書の誕生となった次第です。
今回は広くてんかん協会の会員と家族の手記を公募しました。協会の月刊情報誌『波』で募集したのです。各地から、この機会にどうしても訴えたいという気持ちが集まり1冊となりました。それが、ここに紹介した34人の方々の手記『新・てんかんと私――ひびけ、とどけ!
34の声』です。
読みやすさを考えて、いくつかの章に分け、協会関係者の「手記を読んで」も加えました。そこには解説者自身の体験も語られていますので、より豊かな内容になったと思っています。嘆きや悲しみ、絶望の時代から、今、当事者がみずから問題に立ち向かい、解決していこうとする勇気を感じとっていただければ幸いです。
数多い「手記」のなかで、本書の特徴は、あなたの近くにいるごく普通の人たちが、やむにやまれぬ思いを綴ったものだというところです。その共通点は「てんかん」という疾病と、それにともなう社会的不利を被っているということです。しかもそれは、本人の意志とは全く無関係のところで起こったことなのです。
私たちは、てんかんについての「偏見」や「無理解」を、何とか克服したいと運動を進めてきました。21世紀を迎えた今、何とかこの世紀中に要求を実現したいという思いでいっぱいです。
「社団法人日本てんかん協会」が発足したのは、1976年。その3年前に誕生した「小児てんかんの子どもをもつ親の会」と「てんかんの患者を守る会」が統合したのです。発会総会の参加者は350人でした。突然のてんかんの告知に戸惑う当事者や家族にとって、互いに集まり、励ましあう組織をもつことはどんなに勇気づけられることだったか想像に難くありません。
初心の情熱は人から人へ伝えられて、今では全国都道府県のすべてに支部をもつ協会へと発展し、およそ7000人の会員になりました。本当に多くのみなさんのたゆまぬ努力のたまものです。会員同志の交流や学習会、さまざまな創意あふれる行事などを通じて、協会活動は広がっていきました。国政や身近な自治体に向けた要求運動にも取り組んで、医療や福祉の諸権利を少しずつ獲得してきました。近年では、諸団体の助成や厚生労働省の委託を受けるなどして他団体との交流を深める経験も重ねています。協会の存在にようやく少しずつ光がさしてきたというところです。
しかし、今、わが国の社会保障構造改革のなかで、てんかんのある人たちの状況は厳しい嵐の中にあります。適切な医療がうけられない、教育の場が保障されない、就労ができない、所得保障がない、家族破壊が起こっている等々です。
この手記のなかでは、そうした状況を何とか打開しようという叫びが綴られています。
それぞれの状況は違っていますが、共通した願いはただひとつ、てんかんがあっても一人の人間として豊かに生きていきたい、というあたりまえのものです。
私たちはこの手記を、広くわが国の大勢の方々に読んでいただきたい、「ひびけ、とどけ!」と祈るような気持ちで発刊しました。
本書は、全国100万人のてんかんのある人たちとつながろうという連帯の呼びかけであると同時に、現代を生きるすべての人たちへの熱いメッセージです。
そして、この書との出会いを契機に、どうか「社団法人日本てんかん協会」へのご入会とご支援を切にお願いする次第です。
「ある社会がその構成員のいくらかの人々を閉め出すような場合、それは弱くてもろい社会なのである」(国際障害者年行動計画)の言葉を、私たちの生き方の原点にしっかりすえて、ご一緒に豊かな社会をつくっていきましょう。
最後に本書の刊行にかかわってくださったすべての方々へ、心からの感謝をささげます。
21世紀こそ、てんかんのある人たちの人権が真に保障される希望にみちた時代にしていかなければならないと、新たな決意に燃えています。
2004年4月8日 記
社団法人日本てんかん協会常務理事 福井 典子 |